浮舟短歌

真夜中にいつくしむ雨われを抱く

パニック障害の話

「これが自分の人生なのか?」

そう気づいたのが2歳。それからずっと臆病で、焦るとすぐにあたふたしてしまってそれを克服したいと思ってた。強くなりたいと思ってた。だから本をたくさん読んだ。一番つらい部活に入った。海外にもたくさん学会で行って不慣れな場に自分を置いた。理不尽な体育会系の部活もやったし、研究にひたすら打ち込んだりもした。長時間労働の辛い会社にも入った。バイトでも色んな仕事をやった。難しい免許も取った。人前に立って授業をした。

これが、決定的に私を追い詰めた。焦ってしまってもう頭が真っ白。スカイツリーのてっぺんで命綱なしで強風に吹かれてるみたいだった。適応障害からうつ病になった。電車に乗れなくなって、1人では店に入らなくなって、とうとう外に出られなくなった。

パニック発作は不安から来るパニック障害になった。私の中にはずっとあったものが表面化しただけだと思った。彫刻家から見たら冷たくて大きな岩からとっくにその像が見えているみたいに。

いつかうつ病になることも、小学六年生のあたりでなんとなく予感していた。このままのやり方じゃいつか壊れると。でもそれがいつかは分からなかった。親は何度も諭してきた。でも普段家にいないし全然私の話を聞いてくれないのにそんなことを言われても困った。誰にもセクシャリティのことも話せなかったし、家の中はぐちゃぐちゃでそれどころではなかった。

 

でもある日うつ病になったら本が読めなくなった。あんなに英語の論文を読んでたのに、目が滑って読めなくてびっくりした。もう本当はずっと限界だったのは分かりきっていたので絶望することもなく諦めた。

 

内面に抱えていたものが表面化しただけで、今の私は小さい頃から何も変わっていない。色んな情報を選び取り、手段や策を打てるようになっただけで何ひとつ解決していない。病気になって良かったとか、これで立ち直れたとか周りの人はすぐそういう感動を求めたがるが私はWikipediaでもなければネッフリのコンテンツでもない。

 

今年の2月になんとか一般就労に食らいついて拾ってもらって働いて、死なないためにお金を使う。支払うまでは生きてなくちゃと思う。好きな絵が家に来るのを待っている時間がとても好きだ。配達日までは未来を生きてる感じがする。約束があると思うと、死なないようにしようと思う。だから楽しいことは遅れれば遅れるほどいい。

 

毎日差別と戦争のことばかり考えていて、苦しいのだ。パニック障害は治らないしうつ病希死念慮と不安がまとわりついて離れない。苦しいと体だって動かない。

 

抗不安薬を何錠飲んでも、今日は途中で帰らなかった。障害や病気を理由に甘えていると思われたくない。でも職場の人たちは無理しないでって言ってくるのでそれがまた情けなくて涙が出るほど悔しい。以前できたことができなくなった自分をまだ受容できないでいる。

 

それでも毎朝心の中でファイティングポーズだけは取り続けている。